映画《ゴジラ -1.0》あらすじネタバレ感想:ゴジラの映画で泣くとは

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目次

映画《ゴジラ-1.0》作品情報

製作年:2023年
監督:山崎貴
評価;85

映画《ゴジラ-1.0》主要キャスト

敷島浩一(神木隆之介)
 戦争から生還するも、両親を失い、荒廃した日本で、典子と出会う。
大石典子(浜辺美波)
 焼け野原の戦後日本を単身で強く生きる女性。戦争帰りの敷島と出会う。
水島四郎(山田祐貴)
 戦後処理の特殊任務を請け負う船「新生丸」に乗り込む見習い。
橘宗作(青木嵩高)
 戦時中、海軍航空隊の整備部にいた人物。
野田健治(吉岡秀隆)
 戦時中、海軍工廠で兵器の開発に携わっていた人物。
太田澄子(安藤サクラ)
 敷島の家の隣人。戦争で子供を亡くしている。
秋津淸治(佐々木蔵之介)
 戦後処理の特殊任務を請け負う「新生丸」の艇長。

映画《ゴジラ-1.0》あらすじ

敷島少尉(神木隆之介)は、死の恐怖から特攻兵であるにもかかわらず、機体の故障と偽り特攻から逃れる。大戸島にある守備隊基地のベテラン整備士、橘(青木嵩高)にそのことを見抜かれる。その夜、島に突如ゴジラが現れ整備士たちが襲われる。特攻機に装備されている20ミリ砲でゴジラを打つよう橘から進言されるも、敷島は恐怖から撃つことが出来ず、そのため橘以外の整備士がゴジラに殺されてしまう。橘から、仲間が死んだのは「お前のせいだ」と責められ、亡くなった整備士たちの家族写真を無理やり押し付けられる。
空襲で焼け残った家に戻るも、両親は亡くなっており、特攻で生き残った敷島は隣人の太田(安藤サクラ)から蔑みの目で見られる。天蓋孤独となった敷島は、闇市で乳飲み子を抱える典子(浜辺美波)と出会う。

生物を超えた存在”ゴジラ”

重量感があり低重心のプロポーションはまさしく、これぞゴジラ。
雷鳴に似た、生物としての咆哮の迫力も今までの作品に勝る迫力だ。
今回のゴジラは、荒れ果てた戦後間もない東京を再び恐怖に陥れる「災厄」として描かれている。
自然災害のように情け容赦なく人々の命を無残に奪い、多くの人の人生おも奪い去る。人々はただゴジラから逃げ惑うばかりだ。

恐竜映画のように、人間を口にくわえて放り投げる。さすがに食べはしないが、器用に口にくわえていた。口の中で爆発した機雷によって、顔の一部が損傷しても、それも瞬く間に修復してしまう驚異の自己細胞再生能力をもつ。完璧な自己防衛の能力を有していながら、口から熱線を放出するのだから、地球上の究極の生物としての面目躍如だろう。


熱戦は、尻尾の先端の背びれが順に頭へ向かって、「バン、バン、バン」と巨大音と共に、伸び出てくる。しかも、青白く発光しながら。この音と発光で、もうすぐとてつもなくやばいことが起こると予想できるが、人々はただ茫然と見守ることしかできない。そして、その背びれの巨大化と発光が頭頂部付近まで来た時、一斉に背びれ引っ込んだ次の瞬間、口から青白い熱戦が放射される。

背びれが順に伸びるときは、核が臨界に近づいて、引っ込んでときは臨界を超えたのだろうか?この熱戦の先では核爆発を起こすぐらいの破壊力で、一瞬にして何もかも消え失せてしまう。

もう一つの攻撃法は、太い尻尾だ。これを勢いよく振り回し、付近のビルをいとも簡単に吹き飛ばしてしまう。

ただ、目だけ気になる。海面から顔を出したときのゴジラの目が人間の目に似ている。もっと、凶悪で神がかった目にいてほしかった。

今作のゴジラは、人類に恐怖をまき散らす災厄として描かれている。

やっぱり、ゴジラはカッコいい。人類に災厄をもたらす巨大生物だが、魅力を感じてしまう。
あの独特の咆哮、一歩一歩の重量感のある歩み、そして、口から発せらえる熱戦の破壊力。どれをとってもこれぞゴジラだ。

 

敷島の苦悩

敷島はゴジラを倒すヒーローかと思いきや、特攻として戦地に赴いたが機体の故障と偽り任務を放棄した人物。

しかも、ゴジラを目の前にして再び恐怖に襲われ、自分にしかできない機銃掃射をやらなかったために、基地の整備士たちはゴジラの犠牲になってしまった。

敷島は、特攻から逃げた負い目と、自分のせいで犠牲になった整備士の人たちの2重の心の苦しみを背負って父母のもとへ戻る。
しかし、そこには空襲で焼死し亡くなって無人と化した、荒れ果てた我が家だった。

この敷島の心が少しずつ、ほんの少しずつ、突然家に転がり込んできた典子によって変わり始める。

強い典子

典子はどうして、敷島の家に転がり込んだのだろ。終戦のこの当時は、若い女と乳飲み子だけで生きていけるほど生易しい時代ではなかった。多くの人が空襲で死んでいくのを目の当たりにした人々は、食料の奪い合いで人が死んでも気に留めることもなかった。それほど荒んで荒れ果ては時代だった。


典子の目の前に、突然若い男が立ちふさがり、抱えていた乳飲み子を思わず預けた縁で敷島の家に半ば無理やり居座ることになるのだが、やはり決め手は若くていい男だからだろう。うまくやっていければ、いい保護者になってくれそうだし、もしかしたら自分の子ではない子のこの父親になってくれないとも限らない。先の事はともかく、今はこの子と自分が生きていくために、この若い独り者の家に居座ることにしたようだ。

敷島の過去を打ち明けられたとき、心の深い傷に懊悩する敷島に典子は焼かれている両親から「生きろ」と強く言われたことを胸に刻んで今まで生きてきたと伝える。この言葉は敷島にも届いたのか、少し敷島の心も和らいだようだ。

それにしても典子は強く優しい心の持ち主だ。親を失った乳飲み子を託され育てる決心をしたり、敷島の苦悩を分かち合おうとしたりと若いのにすごい。

しかも、ゴジラにくわえられた電車から助かったり、ゴジラの熱戦の爆風に吹き飛ばされても生きていたりと、ゴジラに負けない生命力をもっている。

感動する場面

敷島が典子の特攻から逃げたこと、自分のふがいなさの為に、整備士たちを死に至らしめたこと、それらの事で今まで苦しんできたことを打ち明ける。その時典子は、その苦しみを一緒に分かち合うように、むせび泣く敷島を抱きしめる。

橘が敷島に爆弾の安全装置を外すレバーを教えるシーン。このレバーが、敷島には内緒だけど本当は脱出装置のレバーなのではと思って見ていたら、そのあとのシーンを想像して泣けてきてしまった。「敷島はそうとは知らず爆弾の安全装置を外して期待をゴジラの口へ突っ込ませようとしたら、脱出してしまった」みたいなシーンを想像していた。でも、実際には、橘が敷島に脱出装置の本当のレバーを教えていたのだ。

隣人の太田澄子が敷島の家で電報を受け取った時。このとき、典子の生きている知らせではと思ったときから、目に涙がたまり始めて、そのままクライマックスへ。澄子が無事生還した敷島に電報を渡したとき、目にたまった涙が溢れ出てしまった。

ゴジラの映画で泣くとは。

映画《ゴジラ-1.0》まとめ

人類を恐怖に陥れるゴジラ、それに対峙する敗戦で疲弊した日本人の物語と、終戦で生き延びた若い二人の人間模様、この二つをうまく融合したスバラシイ作品だと思う。


また、時代設定を終戦にした思い付きがすごい。ようやく戦争も終わり、「さあこれから力を合わせてやりなおしていこう」、「生きていこう」と思っていた矢先に、ゴジラという未知の生物の蹂躙を受け、追い打ちを掛けるように更なるどん底へと突き落とされる。そして、そこから、国には頼れない状況の下で、民間人の力でどうにか、なんとかしてゴジラと対峙していこうと立ち上がる、人間の、日本人の底力を感じた。

何作になっても、これほどの作品が出来上がるとは、次のゴジラが楽しみだ。

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