《VIKINGバイキング誇り高き戦士たち》作品情報
原題:Viking
公開年:2016年
製作国:ロシア
上映時間:137分
ジャンル:歴史戦記ドラマ
監督:アンドレイ・クラフチューク
評価:70
《VIKINGバイキング誇り高き戦士たち》主要キャスト
ウラジーミル(ダニーラ・コズロフスキー)
スヴェトスラフ公と奴隷使用人との間に生まれた三男。
この時代には珍しく人を殺すことを嫌う、慈悲深い一面がある。
イリーナ(スヴェトラーナ・コドチェンコワ)
スヴェトスラフ公の長男ヤロポルクの妻。お腹にヤロポルクの子供がいる。
スヴェネルド(イゴール・ペトレンッコ)
ヤロポルクの部下。ウラジーミルを大公と認めず、幾度も戦を仕掛け、イリーナの引き渡しを要求する。
フョードル(ヴラディミール・エピファンツェフ)
ヤロポルクの元司令官。「ベルセルク」決死隊を率いて強敵ペチェネグ族に挑む。戦士の中の戦士。ウラジーミルとは異なる目的を持つ。
ヤロポルク(アレクサンドル・ウストゥゴフ)
スヴェトスラフ公の長男。キエフ公とも呼ばれる。冷酷無比だが妻と子に向ける愛情は深い。
オレーグ(キリル・プレトニョフ)
スヴェトスラフ公の次男。勇猛だが思慮に欠ける。兄ヤロポルクに殺される。
《VIKINGバイキング誇り高き戦士たち》あらすじ
ヴァイキングの血を引くスヴェトスラフ公の三人兄弟は力づくで父の跡を継ごうと毎日しのぎを削っていた。三男のウラジーミルは奴隷使用人を母に持ち、他の二人の兄から軽んじられていた。しかし、次兄のオレーグが長兄のヤロポルクに殺され、そしてヤロポルクをウラジーミルが殺したことによってキエフ国の君主の道が開けてくる。しかし前途には、いばらの道が待ち受けていた。
《VIKINGバイキング誇り高き戦士たち》感想
ウクライナ誕生の物語
ウラジーミル公の治める国はキエフ公国だから、いま世界の注目を集めているウクライナの事だ。ウクライナの誕生の物語ということになる。祖先がバイキング(ルーシー)だったため、キエフ公国の戦士たちの風貌は荒々しく海の民バイキングらしく描かれている。
キリスト教への改宗
ウラジーミルはあっさりとキリスト教に改宗してしまった。よほど自国の宗教に嫌気刺さしていたのだろう。常に生贄を必要とする原始的な宗教を、幾度となく無くしたいと思っていたようだ。
しかしそんなことをしてしまえば民の怒りを買うことは明らかだから、今まで宗教に対して手出しができずにいた。そこへ、キリスト教徒であるイリーナを通して初めてキリスト教に触れる。ウラジーミルは芯の強い物静かなイリーナから多大な影響を受けることになる。
ウラジーミル
奴隷の血が流れていると蔑まれてきたウラジーミルは、極力人を殺すことを避けようとする慈悲深い一面がある。一方兄の二人は獰猛で荒々しく残虐だ。その二人を差し置いて末弟のしかも母親が奴隷だというウラジーミルが一族をまとめ、立ちふさがる敵を次々と倒しついにはキエフ公国の王になる。
ウラジーミルは周囲の偏見の目に耐え、自分の才覚で王になるしかなかった。平たんではないその道のりを描いている本作品は、歴史大河物語という壮大なストーリーと迫力ある戦闘シーン満載の作品になっている。
そんな彼は、兄ヤロポルクを殺したことにより徐々に王の風格を帯びてくる。しかし幾度となく敵を倒してきた彼でも、生贄という無駄なことは我慢がならなかった。
疑問1
丘の上から船を滑らせて敵の騎馬隊を蹴散らす作戦はバイキングらしいが、何故丘の上に船があったのだろう。
疑問2
何故題名に「バイキング」と入れたのだろう。先祖がバイキングということに誇りを持っているのだろうか。「バイキング」よりも、「聖公ウラジーミル」もしくは「ウラジーミル1世」と入れた方がよかったのではないだろうか。
キエフ公国建国史
キエフの名前の由来
現在のウクライナの首都キエフ(ウクライナ語ではキーウ)。このキエフの名前の由来は?
東スラヴ人のポリャーネ氏族の三兄弟キー、シチェク、ホリフの三人がこの地に町を作り、長兄の名前にちなんでキエフとした。
キエフ公国の建国
9世紀末、ノルマン人の大移動の一つ、バイキングを率いたリュークはノヴゴロド国を建国した。
ノヴゴロド国の一族であるオレーグは、ビザンツ帝国との交易の為に南下する。882年、キエフを占領する。
都をノヴゴロドから移したオレーグはさらに南下してビザンツ帝国を脅かした。これがキエフ公国(キエフ=ルーシー)の成立となる。
オレーグの死後、912年にリューリクの子イーゴルが大公として治めることとなり、正式に公国となった。
何故キエフ公国は王国と呼ばれず公国といわれるのか。
一般に「公」や「大公」は王の弟や息子に与えられる称号である。そして彼らが治める国が「公国」や「大公国」と呼ばれる。
「王」を宗主として仰ぎ、一段低い地位に見られる。しかし、実態は一定の領域を支配する「王国」と同じであることが多い。
ではなぜキエフ公国となったのだろうか。
黒川祐次著の『物語ウクライナの歴史』中公新書によると、キエフ公国の君主は「クニャージ」と言われていた。
これは他国の王に相当する言葉だったが、次第にクニャージの血の繋がりのある息子たちすべてがクニャージと名乗り始めた。本来「クニャージ」は一時代に一人であるところ、何人もの「クニャージ」が出現したのである。そうなると、「クニャージ」の価値が下がってしまい、一段下の「大公」や「公」の訳語が付けられることになった。
本来は実態からみてキエフ王国といった方がふさわしいのだが。
《VIKINGバイキング誇り高き戦士たち》まとめ
何といっても映像が美しい。
しかし、登場人物たちの感情が伝わってこない。主人公のウラジーミルは、君主の息子でありながら奴隷の子として生きてきたという心の内が伝わってこなかった。多くの葛藤や怒り屈辱があっただろうが、それらが分かりにくい。他の登場人物も同じだ。どういう気持ちでいるのかがわかりにくい。それが非常に残念だ。